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Page: 04 人類は衰退しました 1




「?うそです」

「うそだた」「だたね」「よかた」「にんげんさんにほんろうされるです」

「可か愛わいいですね、あなたたち」

 さっそく命名してあげることにしました。

 妖精さんは外がい見けんの差は少ないのですが、格好にはそれぞれ微妙に違いがあります。

「そうですね……じゃあ一番目のあなた」

 びっと指さして、

「ねがいます」

「えーと……なんとなくリーダーっぽいので、きゃっぷさん」

「きゃぷー」

「帽子にこだわりを持ってくださいね」

「ときめくごていあんですな」

「で、あなた」

 次は二番目の妖精さん。

「はい」

「なんとなく日系な印象なので、なかたさん」

「そーきたかー」

「スーツとメガネとカメラ装備で二十四時間戦ってください」

「かんたんのはんたい」

「さて三番目さんは……」

 三番目さんは途中で手を挙げて言葉を断ち切りました。

「……にんげんさん、ごていあんです」

 おや?

「なんでしょう?」

「じぶんでなまえ、きめたいです?」

「おや、自分で名乗りたい名前でもあるんですか?」

 こくこくとうなずく妖精さんです。

「もちろんいいですとも。どんなお名前になさいます?」

「さー・くりすとふぁー・まくふぁーれん」

「……サーの称号まで」

「おきに、おきに!」

 お気に入りですか。そうですか。

「だめ?」

「いいえ。構いませんよ。素す敵てきなお名前です」

「がんばるますー」

「ぼ、ぼくなのでは? そろそろ、ぼくなのでは?」

 四番目の妖精さんが、待ちきれない様子で両手を挙げます。

「ではあなたは……」

「じぶんでおなまえつけてみては?」

「あなたもですか。いいですよ。どのような名前に?」

「ちくわ」

「食べられたいんですね……」

「まちがいです?」

「ある意味」

「ならばー」

 ちくわ(仮名)氏は、まくふぁーれん氏をチラ見します。

「さー・ちくわ」

「食べ物は貴族にはなれませんね」

「なんとー」

 本当はなれるんですけど。

 ここでサーロインを持ち出しても話が複雑になっちゃいますから、ちくわさんで決定とします。

 これで、四人の妖精さんと親交を結びました。

 彼らに窓口となってもらえれば、他の妖精さんとも接触しやすくなるはずです。

 調ちよう停てい官かんとしての滑すべり出し、まずまずなのでは?

「さあ、そろそろ山に帰りましょうか」

「はい」「うい」「もい」「かえるのです」





「で、なぜそんないきなり切せつ羽ぱ詰つまっているのだおまえは?」

 夜、自宅、食卓。

 祖父の蔵書・世界人名辞典を片手に、スケッチブックにペンを走らせながら、祖父に答えます。

「知り合った四人の妖精さんに名前をつけてあげて、仲良くなったのはいいんですが……」

「察するところ、他の仲間の名前もつけてくれと頼たのまれたわけか」

 スケッチに列挙された名前を一いち瞥べつしただけで、正解に辿たどり着きました。

「……はい。なんだか、思っていたよりずっとフレンドリーな種族ですよね」

「彼らはもともと人間が大好きなのだ」

「身をもって知りました」

「そのあたりはいろいろ複雑なのだがな……まああのあたりの資料にあるはずだから、自分で確かめてみるといい」

 とキャビネットを指さします。

「わたしも子供の頃ころは、彼らと普通に接していたように記き憶おくしてますけど……こういうつきあいはありませんでしたから」

「子供もまた妖精だからな。記憶は成長するに従って、曖あい昧まいなものとなっていく。薄うす膜まくがかかるようにな。そしてそのヴェールの向こう側には、時として魔ま術じゆつめいた世界が隠されていることがあるのだ。浪漫ロマンだな」

「……えー、確かー、おじいさんは元学者大先生閣かつ下かなんでしたよねー?」

「なんだ、馬ば鹿かにしてるのか? オカルトもまた一面の真実だぞ? 歴史においても幾いく度どとなく学問として復権している。そもそも妖精が実在するという一点において、我々は真実を知らないのだからして……」

「一いつ瞬しゆん、老人ボケかと思いましたよ」

「私はおまえより長生きするぞ」

「……まあ長生きしてくださるのはいいことなんですが、ほどほどにしてくださいね」

「死ねと言われているような気がするが」

「ああ、やっと五十人分」

 名前もちゃんと考え出すと難しい。

「しかしあっさり仲良くなるとは、うまくやったもんだな」

「そ、そうですね」

 拉ら致ち疑惑については伏せてあります。

「ということは、彼らはまたあのゴミ山近辺に集まりだしているわけだな」

「そのようですよ。明日また様子を見に行くつもりですけど」

「うむ。なら……覚悟しておけ」

 ペンを止めます。

「……と言いますと?」

「妖精という存在について、我々が知っていることは意外と少ない」

 祖父の語りは真理をまさぐる者特有の誠実な含みを帯びます。

「彼らがどこから生まれ、どういう生態なのか……ほとんど知られてはいない。わかってることといえば、数が多いこと、高度な知性と技術を有していること、生きるための食事を必要としないこと、そして既存のいかなる生物とも異なる種であること、くらいだ」

 祖父の言葉は、わたしが学がく舎しやで選択した人類新学の講義の記き憶おくに、特急便で接続されました。人類新学とは、人類学の妖精部門のことです。?かみ砕けば、妖精さんについてのお話。

 確かに妖精さんには数多くの謎なぞがあります。

 しかしその謎は、一度たりとも解かれたことはなかったんでしょうか?

 答えはNOだと言われています。

 少なくともわたしたちは、一度は彼らの謎をある程度まで解いたのではないか?

 まだ地上の大半が旧人類の世界だった頃ころ、科学と叡えい智ちが都市に校舎に書籍に電子情報網に満ちていた頃、絶頂の頃であれば、決して不可能ではなかったはずなのです。

 情報は失われます。

 わたしたち旧人類は、その歴史の中で情報的な断絶を幾いく度どか挟んでいるのです。

 たとえばわたしたちは、人類が引退を決意した決定的な理由を知りません。ただ遠い昔、そういう決断があったとだけ伝えられています。

 どこかに情報は眠っているのかもしれません。

 でもそれを取り出して改め、真相を明らかにしようという情熱を、もう我々は有していません。

 衰退しちゃってるんです。

 妖精さんがどうやって繁はん殖しよくするのか?

 なぜ食物を必要としないのか?

 わたしたちと同じ言語を扱うことができる理由は?

 高い技術力の根底にあるものとは?

 真実は時の流れに埋まい没ぼつしており、それは物事を記録する習慣を持っていない妖精さんたちでさえ知り得ないことでした。

 わたしたちはただ生きています。

 それでじゅうぶんだと言わんばかりに。

 祖父の話も、そのあたりをより専門的になぞる形で進みました。

「……といった点から、ごく端たん的てきには妖精は正しく魔ま術じゆつ的てきな存在だと主張する向きもあったようだな。単に浪漫ロマンと換言してもいいが」

「調べるのに疲れてしまったみたいな結論ですね」

「仕方あるまい。分裂して増えているかもしれない知的生命体に、どうやって科学のメスを入れたらいいのか、誰だれもわからなかったのだ」

「分裂……」思い当たることがもろにありました。

「生きるのに食料を必要としない、という説もあるぞ」

「でもお菓子は食べてましたよ?」

「嗜し好こう品ひんとしてな。だが彼らが農耕や狩しゆ猟りようによって社会を支えている、という事実はいまだ確認されたことはない。伝承に曰いわく、妖精は物質のエッセンスだけで生きることができるのだそうだ」

「エッセンス……」

「説明はつくぞ。妖精が繁はん殖しよくのための段階であると考えればどうだ? カゲロウの成虫は成虫に脱皮した後、食事を行わないのと同じように」

「ああ、それならありえますね」

「生きるために特別の労力を必要としないのなら、あの膨ぼう大だいな知性と活力にも説明がつけられるだろう。生殖についてもそうだが、まるで生物としてのくびきから解放されたかのような存在だ。どれだけ文明を進歩させても、最後まで生物でしかなかった人類とは根本的にそこが違う。振り分けられるリソースの差が、すなわち可能性の差となって現れた結果、今の世代交代があるのかもしれんな」

「けっこう考えてらっしゃるんですね」

「こんなもの考えのうちには入らんよ。探求というのはもっと深遠なものだ」

「…………」

 知識の面では、祖父には敵かないません。

 学歴を持つ身としては懐いだかざるを得ない軽い嫉しつ妬とを、肩をすくめてみせることで散らし、再びリスト作成に戻るわたしです。

「しかしおまえは眉まゆが太いな」

 ペン先がスケッチブックに突き刺さりました。

「……看み取とりませんよ?」

「おまえより長生きすると言っただろう」

 キッチンに戻ろうとした祖父ですが、一度振り返って言います。

「ああ、そう、ひとつ言い忘れていたが」

「はい」

「妖精は個体と接している時と、集団でいる時とでは、まったく別物だと思った方がいい。群れた彼らは巨大な文化と科学の溶鉱炉だ。それはちょっとしたはずみで昇しよう華かするし、新文化は一いつ瞬しゆんで伝でん播ぱする。人には決して制御できない勢いで」

 わたしは手を止め、顔を持ち上げました。祖父の言葉は続きます。

「単純に言えば、妖精はたくさん集まると面おも白しろいことをおっぱじめる、ということだ。人間以上の知性とリソースと効率と情熱を総動員してな」

「具体的には何が起こるんです?」

「わからん。どんなことでも起こり得る。彼らの間で何が流行しているのかは私にはわからん。調ちよう停てい官かんとして、おまえがひとつ飛びこんでみてはどうだ?」

「……おじいさん、前任者なんですから……その無責任な指導は……」

 わたしの文句を無視して、祖父は言い切ります。

「おお、そうだ。もし行くというなら、その辞典ごと持っていくといい」

「とても重いんですけど?」

「持っていった方がいいと思うがね、私は」

 含むような口調で祖父は笑いました。

「はい?」





 翌日。またゴミ山を訪れます。

「え……?」

 そこはゴミ山ではなくなっていました。

 メトロポリスでした。

 しかもSF未来予想図風。

 ただしミニチュア・サイズ。

 都市のミニチュアですからそれなりの大きさです。

 以前ここにあった、見上げんばかりのゴミ山は、同じような輪りん郭かくを保ったままミニチュア摩ま天てん楼ろうへと置き換えられています。

 高層建築物は皆レトロな未来派デザイン。

 ビル間を無数の透明チューブが?つなぎ、中を未来カーが行き交っていたりします。

 舗ほ装そうされた歩道を、大勢の妖精さんが忙しそうに動き回っています。

 都市の中央にはセントラルタワーと呼ぶべき建物がそそり建っており、てっぺんには金こん平ぺい糖とうの仕掛けで用いた手作りの旗がひるがえっていました。

 祖父の言うとおりです。

 妖精さんは数が揃そろうと、すごいことをしちゃうんです。

 にしてもですよ。

「……行きすぎです」

 高度に発達した科学は魔ま法ほうと見分けがつかないそうですが、冗談とも区別がつかないことに気づきましたよ。

 極小サイズの巨大都市に接近してみますと、これはずしんずしんと足音を響ひびかせて都市に攻め入る怪かい獣じゆうの視点ではないですか。

 たちまち妖精さんたちはわたしの存在を察知しました。

 警報がわーにんわーにん鳴り響きます。

「あら?」

 都市中の妖精さんたちの動きが、一気に慌あわただしくなります。

 怯おびえているのか単に慌てているのか区別がつきませんけど。

 わたしは適当な広場まで進んで、そこで立ち止まりました。

「さてと……」

 頭上五十センチほどの高度を複ふく葉よう機きが飛んでいます。

 実際の複葉機とは異なる、どことなく玩具おもちやのようなシルエット。原色をべたべたと塗りたくった小児的カラーリング。特に攻こう撃げきするでもなく、ひたすら旋せん回かいを続けていました。土地のパニックを演出するかのように。

 立ち尽くすわたしを、大勢の妖精さんが遠巻きに取り囲みはじめました。

 どこか怯えがあるのか、一定の距きよ離りには寄ってきません。結果、わたしの周囲には円形の隙すき間まができあがり、何もないはずのそこには独特の緊きん張ちようが流れこんできたのです。

 小さくてもこれだけ視線が集まると、少し緊張します。

 妖精さんというのは、大変忘れっぽい気質で知られています。

 たとえば彼らは、自分たちが万物の支配者であることを自覚していない節ふしがあります。だから人目を避さけて暮らす生活様式を変えることもなく、たまに接触する人間に対しては恐れ敬うやまいあるいは懐なつくといった、主従の従にあたるふるまいを見せるのです。

「あのー……こんにちは」

 ざわざわざわ。

 反応はありましたが、明確な言葉ではありませんでした。

「えーと、じゃあ昨日、わたしが送り届けた四人の妖精さんは、いませんか?」

 今度は先ほどよりやや大きな反応。しかし対話は成立しません。

 ざわざわざわざわ。

 どうにもぎこちない空気がぬぐえません。やはり彼らとつきあうには、個体レベルの親交がどうしても必要になってきます。

「あのー……」

 その時です。

 左方にあるビルのひとつが、真ん中から割れて左右にスライドしていったのです。ビルの内部に待機していたのはロボットでした。

「???」

 子供向けのアニメに出てくるようなデザインです。

 ファイティングポーズを取っているところから、都市の防備なのでしょうか。

 そんなものと、対たい峙じしてしまったわたしです。

 よく見ると、頭部にある半透明ドームの内側に、妖精さんがひとり搭乗しています。パイロット?

 装備されている拡声器からこんな声だか音だかが、

『ぜあっ!』

「……」

 内心?あ然ぜんとしていたので、うまく反応できませんでした。

 反応がなかったことに臆おくしたのか、少し弱気なイントネーションで。

『ぜあ?』

「質問?」

『……さー?』

 不思議な生きものです。





『ところで、ぼくらのしてぃ、はいかがです?』

 そのパイロット氏が、いきなりフレンドリーな態度で話しかけてきました。

「とても素す晴ばらしいシティですね」

『みんなあつまってきたから、なにかしようとおもったです』

 で、都市が完成したと。

「でもそうですね、ひとつ言うとしたら……発展しすぎ?」

『え……?』

「昨日の今日ですから。もっと地道に進歩されても良かったような……くらい?」

『あー……』

 コックピット内で、妖精さんがねろーんと項うな垂だれています。

「いえ、べつに良いのですけどね、このままでも。でもこういう都市ごっこじゃなくて、普通に居住として作った方が良かったかなと」

『……』

 あ、落ちこんでる。

「と、ところでそれ、素す敵てきでスーパーなロボットですね」

 くい、と持ち上げた面おもては、もう喜びで紅こう潮ちようしていました。

『みなさんのまごころでうごいてます』

「でもそれ、戦うためのものなんですか?」

『……あなたは、てきです? もしてきだと、こまりますけど』

「違いますよ」

『それだとへいわなままです』

 コクピットの上部にプロペラが展開しました。

 ローターの回転にともない、搭乗部分だけが頭部から外れ、ゆっくり浮上していきます。どうやら独立した小型ヘリコプターになっているようです。

「そ、それは?」

『とんでいけるはずです』

 答えにならない答えを返し、ふよふよと飛んでいくのです。

『さよならです』

「さようなら……」

 ヘリは飛んでいき、ビルは閉じました。

 何事もなかったように。

「……ええと……」

 困っていると、群衆が割れ、奥からひとりの妖精さんが歩み出ました。

「おや、なかたさん?」

 昨日名付けた日系(?)妖精さん。

 どこからイメージを引っ張ってきたのか、今日は灰色のスーツを着用し、首からカメラを下げてメガネをつけています。



「こんにちは。他ほかのお三方はどうされてますか?」

「みをまかせてるです」

「……何に?」

「さー?」

 野の放ほう図ずな生き方なんですね。

 なかた氏とわたしの会話を目まのあたりにして、民衆にどよめきが広がります。

「にんげんさんとはなしてる?」「やすやすとはなしてる?」「はなしすぎてる?」「とーくだ、とーく」「どないやっちゅうねん」

「あのー、それで、名前の件ですけど……」

 なかた氏は首を傾かたむけます。

「なまえって?」

「……忘れちゃってましたか」

 せっかく七十五人分までリストアップしたのに。

「ほら昨日、あなたたちを送った時、みんなにも名前が欲しいっておっしゃったでしょう?

その仲間のお名前を考えてきたんですけど……覚えていません?」

「あったようななかったような」

「ありました」

「なかったようなあったような」

「ありましたってば」

「あったようなあったような」

「あなたたちはメモすることを覚えるべきですね」

「きおくのはざまでゆらゆらゆれるです」

 揺れないで欲しい。

「わかりました。もういいです。とにかく皆さんに名前をつけますから、今から一列に並んで……」

 と、そこで気付きます。

 よく見ると、民衆は広場を道路を埋うめ尽くしているのですが……これがどう考えても数千人以上いるのです。

「……おや?」

 増えてる。

 用意してきたリストはたったの七十五人分。

「そうか……地域中の妖精さんが集まってしまって……」

「まぜてー」「なにしてるのー?」「してぃごっこだー」「にんげんさんいるー!」「どしたのー?」「なにはじまる?」「なまえだー」「なまえかー」

 そして今もなお、小刻みに増えていっている模様。

「ちょ、ストップ! 並ばないでください! 中止中止!」

 とてもわたしひとりで賄まかなえる人数じゃありません。

 手をぶんぶん振って行列を散らそうとしますが、時すでに遅し。長大な、それはもう長大な行列が、広場を起点としてはるか遠くまで伸びてしまっていました。さらに「すたっふ」腕章をつけた妖精さんがもうあちらこちらに立っており、列を誘ゆう導どうしたり、整理券を配ったり、座らせたり、あるいは立たせたりと、見事な列整理を行っているのを見るに至って、もう引き返せない領域に踏ふみこんでいることを悟さとりました。

「……あれあれあれー?」

 おかしい。どこかおかしい。何かおかしい。

 ひと瓶びんの金こん平ぺい糖とうからはじまったちょっとした試みが、とんでもない事態に発展してしまいました。

 大勢を巻きこむトラブルの当事者が味わうであろう、胃が縮み上がるような感覚に、わたしはかいたこともない汗をかきます。ああ、軽率な約束などするべきではないのです。

 もしここで逃げ出せば、妖精さんとの友好的な関係を築くことは到底望めないでしょう。もしかしたら彼らはすべて忘却してくれるかもしれませんが、数千人を一時でもいちどきに裏切るという選択は、想像以上の胆力を要するのです。

 ひと瓶びんの金平糖。ひとにぎりの怠たい惰だ。ひとにぎりの野心。

 ただそれだけの代だい価かで、わたしは彼らに途方もないエネルギーと技術の浪費を促すことになりました。一晩でこれなら、明日にはどうなっているんでしょう? この波がもし世界中に広がって、妖精さん社会に大きな爪つめ痕あとを残すようなことになったら?

 ……まずい。

 だらだらと売るほど脂あぶら汗あせを流しながら、わたしは混乱のあまり脳内のお花畑(とても居心地が良いとうわさの)に逃げこもうとする理性を、渾こん身しんの意思で引き戻すのです。

「こんなことはじめてー」「なまえかー」「つけてもらえる?」「そういえば、なまえってあるとよいです」「べんりです」「どうしていままでなかったです?」「さー」「わからないね」「おもいつかなかた」「もうてんだた」

 民衆は盛り上がっています。

 なかた氏がわたしの肩によじのぼり、話しかけてきました。

「おなまえ、みんなに、つけるです?」

「……………………」

 長い沈ちん黙もくの後、わたしはひとつの決断をしました。

「つけるですー?」

「……ええ、そうですね、そのつもりです」

 心の中で懺ざん悔げだけすませておきます。たぶん足りないと思いますので、なんだったら分割でも構いませんよ、本物の神様?

 わたしはスタッフ妖精さんをひとり手招きし、列をできるだけ遠くにやらず、広場に押しこむようにお願いします。

「あいさー」

 快こころよく引き受けてくれました。

 実に野の放ほう図ずに見える妖精さんですが、その気になれば一糸乱れず集団行動をすることができるようです。列がうずまき状に巻き去られ、広場に圧縮されるまで、三分もかかりませんでした。

 すべての妖精さんが、わたしの目の届く範囲に集結しています。

 今がチャンスでした。唯一無二の。ありとあらゆる不具合をうやむやにしてしまうための。そう、謎なぞに包まれた妖精さんとはいえ、いくつかはわかっていることもあるのです。わたしにはそれなりの知識欲があり、学舎がくしやにはそれを満たしてなお余りある蔵書と生徒より数の多いおせっかいな教授陣がいました。人間関係が不得手なわたしは、持てる時間の多くを渉しよう猟りようにあてましたし、教授陣はひとり残らず「病的教えたがり」でした。この頭の中には十年以上をかけて積み上げられた無む駄だで雑多な知識が、尖せん塔とうのごとくそびえ立っていたりするのです。

 たとえばそのひとつに、彼らが破裂音に弱いという情報があります。

 わたしは両手を大きく広げ、勢いよく閉じました。

 ばちん。

 広場に絶対の静せい寂じやくが訪れました。

 ざわめきの元になっていた妖精さんたちは、ひとり残らずいなくなっていました。逃げたのか? いいえ、違います。彼らは一歩も移動してはいません。そして渦巻き状の行列があった場所には、かわりに、数千個のカラフル球体が転がっていました。



 たいへんシュールな光景です。

 わたしの肩からも、灰色の球体がひとつ転げ落ちていきました。

 これは?丸まり?という妖精さん独特の習性です。

 びっくりすると身を守るため丸くなるのです。膝ひざを抱えているだけではなく、ちゃんとしたボール状。ダンゴムシと同じです。

 本当に危険な生物から身を守れるのかは疑問ですが、とりもなおさず危機は去りました。

「ごめんなさい皆さん。約束は反ほ故ごです」

 今のうちに逃げるしか。

 持参してきたバッグを手に取ります。ずっしりと重いそれを。

 重い?

 そうでした。祖父に言われ、人名辞典を持ってきたのでした。異様に分厚く重く、鈍器のようなそれを。

「…………」

 祖父の意図が、今ようやく理解という形をともなって浮かび上がってきました。

 わたしは震ふるえる手で、辞典を両手で掲げます。天高く持ち上げられた辞典は、神こう々ごうしく輝かがやいているようでした。

 丸まり状態からほどけた妖精さんたちが、広場のあちこちでぼんやり座りこんでいました。睡眠も兼ねているようで、目をこすって欠伸あくびをしている方もいます。

 おそらく命名に関する騒さわぎは、何も記き憶おくしていないことでしょう。

 なかた氏がよたよた歩いてきます。

「それなんですー?」

「これが、贈り物です」

「ほー?」

 なかた氏の黒々とした瞳ひとみには、辞典を掲げるわたしの姿がくっきりと映りこんでいました。

「この人名辞典から、あなたたちは好きな名前を選ぶのです」

 丸まりから復帰して集まってきた妖精さんたちに厳おごそかに告げ、辞典を置きます。

「はー……」

 わたしを見つめる妖精さんたちの目は、無む垢くな感動に潤うるんでいました。どこか宗教的にも受け取れる恍こう惚こつを含んで。

「にんげんさんは、かみさまです」

 なかた氏が震える声で呟つぶやきました。





「で、例の件はどうだったね?」

 食卓を挟んで、祖父が問いかけてきました。

「辞典をプレゼントしてしまったんですが……」

 この回答は予想していたのか、祖父は「そうか」とうなずくだけで、特別咎とがめる様子もありません。

「すごい都市化が進んでましたよ。たった一晩で」

「人口が増えると相乗作用でな。そうなると場の楽しい度は増し、妖精はさらに増え、発展はさらに加速し……そのあとは雪だるま式だ」

 スープ皿に浮かぶじゃがいもを、口に運ぶでもなく弄もてあそびます。

「今日のスープはお気に召さないか?」

「いえ、ちょっと気になっていることがあって」

「というと?」

「……心に引っかかっているだけで、具体的にどうとはわからないんですけど」

 なんでしょうね、この不安は。





 不安の正体は、メトロポリスを訪れた時に判明しました。

 昨日と変わりないように見えて、一箇所だけ異なっていた点があったのです。

「んな──!」

 とうてい看過できない変化でした。

 あのロボットが収納されていたビルが撤てつ去きよされて、かわりに、彫像が飾られていたのです。

 いえ、彫像というよりは……女神像。

 そう、これは女神像。

 わたしの顔をした。



「ちょっとー!」

 民族の象徴にされてしまったのです。

「問題になりますからー!」

 女神のわたしは、両手で辞典を掲げていました。

「あー、かみさまー」

 なかた氏が出てくると、連れん鎖さ的てきにお仲間も姿を見せ始めます。

「かみさまかみさま」「かみさまー、おっはー」「きょうもかみさまきたー」「わーい」

 神扱い。

「そうか、不安はこれですか……」

 熱しやすく懐なつきやすい妖精さん。

 わたしのした何なに気げない行為はある意味創造的であり、結果として彼らの社会に崇拝の概がい念ねんを生み出してしまったようです。

 もしこの流れが、雪だるま式に、世界中の妖精さんに伝わってしまったら?

 妖精さんの歴史において、わたしが神として君臨することになってしまいます。

「……むう」

 はっきり言って問題です。

 世が世なら大問題だったでしょうね。

 わたしは足下で両手をぶんぶん振っているなかた氏を見下ろします。おもむろに手を伸ばし、ぴと、とつるつるしたおでこに指を当てます。

「……うん?」

「はいタッチ。次はあなたが神様」

「えっ?」

 ががーんと、なかた氏は驚きよう愕がくの面おも持もち。

「えー? ぼく、かみさまですー?」

「そうですよ。だってタッチしたんですもの」

「なんとー」

「わたしは神様いち抜け」

「いちぬけ……?」

 なかた氏のメガネが曇くもりました。

 よろめき、わたしの爪つま先さきにぺとり手を置きます。

「どない?」とでも言うような表情で、上目遣いに様子をうかがいます。

「残念。同じ人はもう神様にはなれないですよ。だからわたしにタッチしかえしても無む駄だなのです」

「ままならぬですね?」

「いやまったく。さあ皆さん、早く逃げないと本当に神様にされちゃいますよ」

 周辺の妖精さんたちが、ビクリと身を震ふるわせました。

「なかたさんもどうします? このままだと神様ですよ?」

「え、あ、えー……」周囲を見渡して、「かみさまやーだ──────っ!」

 仲間のもとに駆け出しました。

 神の概がい念ねんは一転して悪鬼のそれとなったのです。

 このあたり、人間の神話の歴史とも一致していて、なかなか民族史的には面おも白しろいかもですね。

「わー!」「かみさまきたー!」「かみさまがくるー、くるですー」「にげにげするですー」「かみがうつるー」「たいへんだー」「ぴ────っ!!」

 散り散りになって逃げていく妖精さんたち。

「まーたーれーよー!」

 追いかけるなかた氏。

 鬼ごっこの様相を帯び、神権のなすりつけあいがはじまりました。

「さすが素早い」

 本気になるとリス並みに駆け回れる妖精さんです。

 鬼(神?)ごっこはとても目まぐるしく、目では追い切れないほどのスピードで展開しました。

 空こそ飛ばないものの、ミニチュア建築物に登り、穴があれば潜もぐり、立体的に逃げ回るのですから大変です。


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